(梅 鉢)
当社の創立は明らかではないが、社伝によると大田神社は延暦の頃大伴大田宿彌の裔である大伴福美麿、河行紀がこの地に来りて開拓し、祖先の名を地名となし、弘仁元年祖神天押日命を祀りて大田社を創立した。当社は延喜式所載の神社であって、一に大年神を祀っている。文永元年に國子六所大明神を祀って社殿を再建し、応安元年頃には既に菅公を合祀して天満天神宮と称していたが、応永31年には山城國曼殊院法親王の令旨によって菅原道真の霊を勧請し、爾後大田天満宮と称して居た。享保4年には本殿を同8年には拝殿及末社を改築した。古来武将の崇敬も厚く、永正年中には新庄城将から大刀、天文3年には同じく唐鞍及鰐口の献納があり、文禄年中には青地城主の武連盛隆の祈願があった。寛政12年には、曼殊院門跡の直轄に属した。明治5年には天満宮なる名称を改めて、式内大田神社と旧に復した。明治35年小松宮彰仁親王より社号大田神社の御染筆を御下賜になった。明治9年村社に列格。
本 殿
2011年(平成23年)
滋賀県有形文化財に指定される
このお社は式内社です 大伴大田 宿禰の末裔が延暦年間(八〇〇年ごろ)に この地 に移住して太田村を開き この神社が創立され ました。本殿は三間社流造・向拝一間 元はこけら葺で 建立年代は 神社に残る 棟札から享保三年(一七一八)であるこ とがわかりました。
近世中期にさかのぼる わりと規模の 大きい神社本殿で、保存状態も非常に良 く 外観に関しては(屋根は除く)ほとんど 当初のままと考えられす。良質の材 料を用い 隅々まで丁寧に仕事がさ れています 彫刻が建物全体にわたり 要所に施され、建立当初の状態をよ く残し、質の高い確かな建築技術で 建立された貴重な建物と云えます。
拝 殿
<建屋構造>
入母屋造 間口三間 奥行三間
5月3日に例大祭が行われ
拝殿に神輿を飾る
・鯛橋
本社の手洗い鉢のそばに
「鯛橋」と呼ばれる自然石が橋のようにかかっておりゆかりの句が残されている
・硝子燈
参道に硝子燈がある。石灯籠形で石組四角基台部、六角石柱上に設置され、外側に湾曲した六本の鉄筋に支えられている。明治十四年のもの
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